人々が富士山麓で生活をした痕跡は縄文時代にさかのぼります。忍野村でもこれまで7ヶ所の縄文遺跡が発見されています。でも宇津湖(忍野湖)の湖底だった忍野盆地に集落が形成されたのはもっと後のことです。8世紀後半から9世紀の半ばまで続いた富士の火山活動がおさまってからのことと思われます。 明治以前は水稲栽培もできず、人々はアワやヒエなどの雑穀栽培で生活してきました。女たちは養蚕と機織り、男たちは馬の背中に荷物を積んで運ぶ「駄馬賃稼ぎ」という仕事に収入の途を求めました。明治以降は屋根職人として近県へ出かける人が増えたそうです。 現在は世代も代わり職業も多様化してきましたが、忍野には村の歴史と村民の営みを刻み込んだ風習や有形・無形の文化財がまだまだ残されています。